そして煙は消える
紫煙を燻らせつつ、手紙を読む。
『結婚披露宴のお知らせ』
ざっと目を通して、ひとまず机に置く。
小さい頃、私がよく遊んでもらっていた近所のお姉さん。その人の結婚式の招待状だった。
「あの人が結婚なんて、現実味がわかないなぁ」
6つ年上のあの人は、今は27。
そう考えると結婚を考える時期ではあるだろうが、小さい頃から知っている人だとイマイチ実感が掴めなかった。
確か初めてあったのは、5歳の頃。
父の仕事の都合で引っ越しをした私は、母に連れられて隣の家に挨拶をしに行った。
その時に出会ったのが、あの人だった。
当時小6だった彼女は、親が話し込んだことにより退屈になっていた私と一緒に遊んでくれた。
初めは警戒していた私だったが、一生懸命に遊ぼうとしてくれるお姉さんの姿を見て、徐々になつき始め、帰る頃には、帰りたくないよ、などと駄々をこねるほどとなっていた。
私が学校に通い始めてからも、登下校の時一緒に帰ってくれたり、一緒に遊んでくれたり、とてもよく面倒を見てくれた。そんな彼女のことが、私は大好きだった。
私が中学2年生の時、彼女は成人した。その時私は、何やら彼女が遠い存在に思えてしまったのだ。
大人になった彼女と大人になれない私。私がどう頑張っても、縮ませることのできない距離。それを痛感してしまった私は何を思ったか、煙草を吸い始めたのだ。彼女に大人と思われたいという考えで吸い始めたのだろうが、今になって思えば構ってもらいたい子供の考えだ。
彼女には吸ってるところを見る度にしつこく止められた。頑固なことに、親ですら途中で匙を投げても、私が成人になるまでずっと止め続けた。私も私で強情なもので、それを聞かずに吸い続けた。別に美味いと思えるわけでもなく、健康にも悪く、金もかかるばかり。止めた方がよっぽどいいであろうそれを、私はただ大人に見られたい一心で吸い続けた。
そんな生活を続けて二年が経ち、彼女の大学卒業を控えたある日のことだった。
「私、卒業したからここ出ていくんだ」
「えっ?」
彼女からの誘いで一緒に遊びに来ていた時に、それは切り出された。
「少し遠くの方に就職が決まってさ。色々悩んだけど、出ていこうってことにしたの」
「そ、そうなんだ……寂しくなるね」
「私もだよ。まぁ今の時代ネットとかでいくらでも連絡取り会えるしさ。メール、してね」
「うん」
内心穏やかでは無かったが、私は笑顔でそう頷いて見せた。
そして彼女は、言っていた通りに卒業と同時に家を出ていった。彼女がいなくなり、もう煙草を吸う目的もなくなった訳だが、半ば嫌々ながらも長年吸い続けたそれは、その頃には染み付いて離れなくなっていた。まるで呪いかのように。
やめられない煙草を吸いながら、高校生活を卒業し、大学の生活を送っていたある日のこと。
『職場の人と結婚することになったよ。近々招待状が届くと思うから、是非来てね!』
そのメールを見た時に、愕然としたものだった。彼氏が出来たなどとは聞いていたが、結婚となるとまるで別次元のことのように思えた。あの人が、成人した時なんかとは比べ物にならないほど遠く、遠く離れてしまったみたいに感じた。そしてそれは、私にとって酷く悲しいことに思えた。
「……」
私は複雑な感情を抱きながらも、『結婚おめでとう! 式には絶対行くから!』と返信したのだった。
「と言いつつも、いざ見たらなんか複雑だなぁ」
堅苦しく書かれた招待状は、私にますます彼女が遠のいたように感じさせ、出席の箇所に丸を付けようとする筆を重くさせた。
「おっと」
そうこうしている内に、タバコの灰が落ちそうになっており、私はそれを灰皿に落とす。
何となしに私は落ちた灰を見つめた。落とすまではまとまっていた灰が、灰皿に落ちた今は粉々だ。
「……変わらないものは、無いんだもんね」
そう呟いた私は小さくため息をつき、タバコの火を消すと、『出席』の部分に丸をつけたのだった。
夏の雪
「あっつい……」
8月も半ば、無駄に張り切る太陽が目障りに感じる中、私は自宅のリビングでかき氷を作っていた。
自分の分、そしてまもなく来るであろう来客の分。
かき氷器にガラスの器をセットすると、ハンドルを回し、氷を削っていく。
『ピンポーン』
私の分の氷を削り終わるのとほぼ同時に、インターホンが鳴った。
駆け足気味に玄関に向かい、戸を開ける。開けた先には待ちわびてた来客がいた。
「おすおす、久しぶり」
「久しぶり。一年ぶりだね」
私は一年ぶりにあった友人――雪乃と軽く挨拶を交わすと、リビングに迎え入れた。
「今かき氷作ってるところなんだ。ちょっと待って」
「そんな、いいのに」
友人の遠慮にいいのいいの、と答えると、私は再びかき氷器のハンドルを手にして氷を削る。
そうして削り終えた氷を目の前にし、満足感に浸りながら手で汗を拭う。
「ふう……。シロップ何がいい?」
「じゃあ、カルピスで」
「了解」
友人の注文を聞き、友人のかき氷にはカルピスを、私のかき氷にはイチゴシロップをかけた。
「どうぞー」
「ありがとー。なんか年々かき氷作るの上手くなってるね」
「そう? あんなのハンドル回してシロップかけるだけだし上手いも下手もないと思うけど「いやいや、そのハンドル回すのだってなかなかコツいるし、シロップもかけ方間違えるとこぼしたり悲惨なことになるよ。やっぱ上手くなってるって」
「そうなのかなぁ……?」
確かに4年前の夏からかき氷を作ることが私の中で定番となっている。
そういう手際が良くなっても何ら不思議はない。
ただ、その事実はそれだけ時が経っているということを表している。
そう思うと、私は複雑な心境となった。
「……どうしたの? どこか痛かったり?」
「えっ? ううん、なんでもないよ」
思っていたことが顔に出てたのか、雪乃に心配される。
私はそれを悟られまいと咄嗟に誤魔化した。
せっかくの再会だ、余計な感情を差し込みたくなかった雪乃は首を傾げるものの、そう、と言ってそれ以上は突っ込んでこなかった。
「メグは最近楽しい? 確か今年大学卒業だっけ?」
「そうそう。大変だよ、卒論やら就活やらで」
他愛もない近況報告が始まった。
くだらないことかもしれないが、久しぶりに会う友人とだとそれすら楽しいことに思えた。
「そっかぁ、メグももう社会人かぁ、そかそか」
「もう、何を感慨深い感じに言ってるの」
「中学からの友達がついに社会進出するんだと思うと、ちょっとさ。いやぁ大きくなったもんだねぇ」
「そんな叔母さんくさい事言わなくても」
雪乃の言い回しに思わず笑ってしまう。
わずか一年ぶりのはずなのにとても懐かしく感じられた。
毎年再会するたびにこんな感覚に浸っている。
雪乃が私の側からいなくなってから、ずっとそれほど雪乃は私にとって大きな存在だったんだろう。
そう思いながら、私たちは他愛のない話を続けた。
ふと、雪乃が部屋にかかっていた時計を確認した。
「もうこんな時間かぁ」
時計を確認した雪乃は、そう言いつつ立ち上がった。
「……もういっちゃうの?」
恐る恐るそう聞いた私に対し、雪乃はコクリと頷きを返した。
「そう……。もう、お別れなんだね」
「うん……」
別れの寂しさの余り、私たちは互いに俯きながら言葉を交わす。
「大丈夫だよ。また来年、会えるんだから」
そう言われた私は顔を上げてみる。
雪乃も顔を上げていた。
「……そう、だよね。また来年会えるもんね」
「うん」
微笑みながら強く頷く雪乃。
その顔は昔と何も変わってなかった。
それを見た私は懐かしさやらなんやらで思わず泣いてしまいそうになった。
「ねぇ、雪乃。質問があるんだけど、いい?」
泣くまいとした私は、雪乃に質問をすることで誤魔化した。
「うん。なに?」
「そっちって、楽しいの?」
「うーん、思ってたよりも楽しいよ、案外」
「そうなんだ。わたしもいっちゃおうかな、そっち」
「なんじゃそりゃ。まだメグが来るには早いよ。来るのはちゃんとその時になってからじゃなきゃ」
「ふふっ、そうかもね」
互いに冗談を言い、笑いあう私たち。
ひとしきり笑って少し落ち着いた後、雪乃が口を開いた。
「それじゃ、さすがにもういくね」
「うん、そうだね」
そう言うと私は、雪乃を玄関まで見送る。
「じゃあ、またね。メグ」
「うん……」
「そうだ、言い忘れたことがあった」
「うん……?」
「社会人、頑張れ!」
「……うん!」
雪乃はそう言い残すと、手を振りながら去っていった。
見送った私は、リビングに戻り食器の後片付けをする。
そうして雪乃のかき氷の器を片付けようとしたところで、彼女のかき氷は全く手をつけられずに解けていることに気づく。
「……また残してる」
はぁ、とため息をつきながらぼやく私。
なぜか雪乃は毎回かき氷を残していくのだ。
それを分かりつつも作ってしまう私にも問題があるのだろうが。
再びその器を片付けようとしたところで、私の手は止まってしまう。
解けたかき氷は時の経過を表し、さらには毎年現われてはすぐに消えてしまう雪乃を表している気がした。
そう思ってしまった私は雪乃が去るまで必死にこらえていた涙を、夏の雪解け水が入った器へと零してしまった。
そして、私は天井越しに見えない空を見、既にいなくなった友人を想い、こう呟いた。
「また、来年だね」
死人の石
突然ですが、貴方は宝石を見る時、何を見るやしょうか? 美しさを見やすか? 価値を見やすか? 輝きを見やすか? カットを見やすか? 見方は様々ですし、人によってそれは千差万別でしょうさ。さて、ここから先見せるのは宝石の価値観が貴方たちの世界とは少しばかり違う不思議な世界。
そんな世界で人々は宝石に何を見て、何を感じるやしょう。そんな世界のお話を、どうぞ、お楽しみくださいませ。
え? あっしは何者なのか、ですと? あっしは……そうですねぇ。ただのしがない、宝石商ですよ。
「ここか……」
大きな荷物を抱えた商人やら、出稼ぎへと向かう男やらが出入りしていく門の前で、俺はそう呟いた。
武力に重きを置いた国『ゴルバーン』。その国に到着してから3日間歩いて辿り着いたのがこの街、『サンディール』だった。
俺は確かにこの街だと確認すると、門を潜り抜けた。
「おら、とっとと出しな!」
「ひえええ」
そんな俺を迎え入れたのは、喧騒の声。
ボロボロの布に身を包み、髭を伸び放題にした、いかにも盗賊らしき身なりの男が剣を構えて、ガスマスクのようなものを付けた奇妙な男を脅していた。背負ってる荷物の量を見るに、ガスマスクの方は商人か何かだろうか。
しかし、周りの人間は横目で見つつもそんなものにお構い無しと素通りしていく。何とも薄情な人間たちだ。
「その背にあるのは晶石だろ? ほら、命が惜しけりゃとっとと出せ!」
「そんな、殺生な」
――なるほど。ガスマスクの男は晶石売りだというのなら、周りの人間が助けようともしないのも頷けた。
「待て」
人々が通り過ぎる中、俺は静かに盗賊に対して言い放った。
「なんだ? お前晶石売りを庇うってのかよ? 人の命を売り買いしてるような外道野郎だぞ?」
「それを金も払わず奪おうとしてるやつが言えるか。それに、俺はそいつに用ができたんだよ。怪我しないうちに失せろ」
「んだとぉ……」
苛立った様子の盗賊はこちらに剣を向け、大上段に構える。
「てめえも抜かねぇか! 背中に立派なもんぶら下げてんだろうが!」
「あぁ……」
俺はその言葉を受け、確かに俺の背中に下がっている剣に一瞥する。
「お前如きに抜くほど、俺の剣は安くないんでな」
「こんのやろぉ……」
俺のわかりやすい挑発に乗せられ、盗賊は切りかかってきた。
「おらぁ!」
余りにもわかり易すぎる攻撃だ。俺は半歩ほど下がることでかわすと、振り切った剣は地面に刺さった。そこを見逃さず、刃を横から蹴り、それをへし折った。
「ひっ……」
一瞬呆気に取られた様子を見せた盗賊だったが、すぐに刃が折られた剣を投げ捨てて、拳を大きく振りかぶった。
「この野郎!」
そう言って顔に向けてきた拳は、軽く首を倒すと空を切った。崩れたところに右頬へストレートを撃ち込んでみせた。
「ぐあっ」
盗賊の男は、思い切り後ろに吹っ飛ばされた。
「どうした? まだやるか?」
「くっ……覚えてやがれ!」
男はそう吐き捨てると、人混みを掻き分けて逃げ去っていった。
その様子を見届けてから、ガスマスクの男へと目を向けた。
「大丈夫か、あんた」
「へ、へい! ありがとうございやす!」
男は深々とお辞儀をするものの、ガスマスクと相まってどこか奇妙に見えた。
「あっしのような奴を助けてくれるなんて、随分とお人好しなんですねぇ、旦那」
「……別にそういうわけじゃないさ。用事があったもんだしな」
「用事? どういった用で?」
「それはだな……おっと」
先ほどまでは無関心で通り過ぎていた街の連中も、あの騒動が起きたらさすがに足を止めてこちらを見ていた。さすがにこう注目されてる中で話を切り出す気にはなれなかった。
「どこか酒場か何かあるか? そこで話したい」
「そうですねぇ……何か訳アリの話でしたら、ここいらだと東町の『エルドール』というところがいいかと」
「分かった。そこまで案内してくれ」
「かしこまりました」
俺はガスマスクの男に連れられ、エルドールへと向かった。
「ここでさぁ。ちと待っててくだせぇ」
店に着くなり、男はマスターに駆け寄り、何やら話を始めた。話が終わるとこちらの下へ戻り、耳打ちしてきた。
「奥の部屋を使ってもいいとのことでさぁ。どうぞ、こちらへ」
「ああ。分かった」
そう言われて案内されたのは、机と椅子以外は窓も何も無い殺風景な小部屋だった。
「こう見えても防音もバッチリなんですよ。誰にも覗き見や盗み聞きされない部屋でさぁ」
「なるほど、いい所だ」
あまり周りには、特に目的を持って来たこの街では盗み聞きされたくない話だ。こういう配慮は有難かった。
「いやぁ、改めてありがとうございやした。ええと」
「カインだ」
「随分とお強いんですね、カインの旦那」
「多少鍛えていたぐらいさ。それよりお前、晶石売りなんだよな?」
俺の言葉を受け、ガスマスクの男は頷いた。それを見て、俺はこの男が危険な目にあっても誰も助けようとしなかったのにも頷けた。
――晶石。それは人が死ぬことで宝石となってしまったものを指す。どうして宝石になるのかは明らかにされてないし、他の動物が死んでも死体が残るだけ。人間だけがなぜか晶石になる。生前、どんな人物だったかによって宝石の種類や色なども異なり、一流の鑑定士なら会ったことがない人物でもまるで生前会話したことがあるかのように人物像を当てるという。
そんな晶石を商いに利用するのが、こいつのような晶石売りと、晶石を加工する晶石工だ。こうした連中は一般的な民からは忌避されることが多い。何せ石とはいえ、人の死体を売っているのだ。嫌悪感を抱くのも無理はないだろう。
それでもこれが商いとして成立するのは、これを集めたがる酔狂な貴族やらが買っていくからだ。ものによっては数億といった値段で取引されることもあるという。
「用というのは、何かお求めの晶石があってのことですかい?」
「ああ。これを見てくれ」
俺は荷物の中から1枚の写真を抜き出した。晶石と、それを手にする男が写っている。
ガスマスクの男はその写真を目にするなり、ひったくるようにそれを手に取った。
「この男は……マーブルじゃないですかい!」
「そう、この辺りを根城とする盗賊団の頭領。マーブル・ストレーン」
ガスマスクの男はほえー、などと間の抜けた声を上げながら、俺と写真を交互に見る。
「なるほど人目を避けたいわけですねぇ……ここいらにはどこにマーブルの手下がいるか分かったもんじゃないですからねぇ」
「そういうことだ。この配慮は助かったよ、ありがとう」
「いえいえ、職業柄なもんで。とすると、旦那の目当てはマーブルの持ってるこの晶石というわけですかい。なんでまた?」
「弟だ。その男に殺された」
「な、なるほど……」
言葉を失いながら写真を改めてじっと見るガスマスク。晶石売りとして真剣な目をしているのだろう。ガスマスク故に見えないのだが。
「見覚えないか」
「うーん……かなりの上物に見えやすし、1度見たら忘れないと思いやすが、見覚えがないですねぇ……すいやせん」
そう言って頭を下げるガスマスク。やはりこの光景は奇妙に映る。
そう思っていると、頭を上げたガスマスクが質問をしてきた。
「旦那は、この晶石とマーブルの首を求めてここに?」
「まぁ、そうだな」
「……そういうわけでもない」
「ふむふむ、なるほどなるほど……でしたら、あっしからも手を貸しやしょう」
そう言われた俺は、思わず身を乗り出してしまう。
「いいのか?」
「えぇ。借りもありやすし、恐喝に強盗やら、街の安全も脅かされていやす。潰してくれるなら大助かりでさぁ。1日待ってくれれば、あっしにいい策がありやす」
「ああ、問題ない。助かるよ」
「そうしやしたら、旦那用の宿をとっときやすので、明日の昼頃、またこの部屋で落ち合いやしょう」
「わかった。それとだ」
「はい?」
「お前の名前は、なんていうんだ?」
「あっしの名前、ですか」
危険性は感じないものの、素顔を隠したガスマスクに晶石売りという身分が、どこか得体の知れなさを感じさせる。ならばせめて名前ぐらいは知っておきたかった。しばし悩む素振りを見せたガスマスクは、こう告げたのだった。
「名など名乗れる身分じゃありやせん。お好きにお呼びくだせえ」
俺は晶石売りと別れると、手配してもらった宿へと行った。現在手持ちもさほど豊かではなく、当初は野宿するつもりだった。それを宿を手配してもらい、さらにその代金も晶石売りが持ってくれることとなったのは、非常に有難いことだった。
宿に着くと、俺はすぐにシャワーと飯を済ませ、ベッドへと腰掛けた。この街に着くまで歩き続きで疲れていたし、明日は探し求めていた仇と対面するかもしれないのだ。早めに休んでおきたかった。
俺は余計なことは考えず、さっさとベッドに入った。しばらく布団に入るなんてことが無かった為、すぐに眠りに落ちた。
1年ほど前。
俺は剣術道場の師範だった。
元々は父が開いていた道場だが、両親が流行病に罹り他界。その後は俺が跡を継いだのだった。
その日は、いつも通り門下生たちに稽古をつけていた。
「よし、そこまで」
昼が過ぎ、終了時間となった為に稽古を切り上げ、各々帰り支度を始めた。そうなるのを外で待っていた弟が、稽古場にはいってきた。
「お疲れ様です、兄さん」
弟ーークオンは、労いの言葉と共に、茶を差し出してくれた。
「お、ありがとな、クオン」
「いえいえ。それで、今日の市場の事なんですが」
「あー……今日だったか。すっかり忘れてたな」
両親が遺してくれたのは、道場ともう1つ、菜園があった。そこで採れた野菜なんかを、街の市場まで週に1度売りに行く。父が亡くなったことで門下生が減ったこともあり、これも重要な稼ぎ元だったのだ。
「僕が行きますよ。稽古でクタクタでしょうし、兄さんは休んでいてください」
「最近野盗とかがいて物騒とかよく聞くし、1人じゃ危ないぞ。さっさと準備したら、俺が行くから」
「大丈夫ですよ。市場までそう遠い訳でもないですし、僕1人でも」
「うーん……」
心配ではあるが、こう言ったらクオンは絶対に譲らない頑固者だということは、常日頃から身に染みている事だ。
「分かった。なら頼んだ。でも、終わったらさっさと帰ってこいよ」
「勿論」
そう返したクオンは、手早く身支度を済ませてみせた。
「では、行ってきます、兄さん」
「あぁ。気をつけてな」
俺は品物を背に、街に向かう弟を見送った。
これが、弟を見る最後の姿になるとも知らずに。
クオンが帰ってくるまでに食事と風呂の準備を済ませて待っていたのだが、もうじき日が暮れる時間だ。あまりこんなに遅くなることは無いのに。
心配しながら待っていると、玄関の扉が開く音がした。帰ってきたか。俺は腰を上げて、出迎えに向かう。
しかし、そこに居たのは道場の門下生の1人だった。ガックリと肩を落としそうになるが、何やら息も絶え絶えで、汗もぐっしょりとなっている。ただ事ではなさそうだった。
「……どうした?」
嫌な予感を覚えながら、俺は慎重に、声をかけた。
「はぁ……はぁ……先生、シオンが……」
その先の言葉は、俺を絶句させるには十分だった。
「シオンが、殺されました」
「はっ!? はぁ……はぁ……」
悪夢を見ていたようだった。あの日のことを繰り返すあの悪夢は、これまで何度も見てきた。
明日でこの悪夢からも、解き放たれるだろうか。
「クオン……明日、必ず……」
そう決意を新たにし、再び眠りについた。
一晩宿で明かし、再びあの酒場に行くと、そこには相変わらずガスマスクを着けた晶石売りがいた。
「おはようごぜぇやす旦那。昨日の宿はいかがでした?」
「いい宿だった。手配してくれて助かったよ。それで、どうやって奴らのところに行く気なんだ?」
「へへ。商人と言ったら、やることは1つですよ」
そういうと、手にしていた荷物から、自分が着けているのと同じようなマスクを出してきた。
「今から旦那には、あっしと一緒に商談をしていただきやす」
「商談? どこへ?」
「勿論、旦那が狙っているマーブル一味のところでさぁ。昨日あの後、商談の約束を取り付けてきやした」
「それは……大した手腕だな、街を騒がす盗賊団に一晩で接触してくるとは」
「商人ならではの人脈があるんでさぁ。商談で旦那の弟さんの晶石を引き出し、引き出したらマーブルを討つ……そんな作戦でいこうか思ってやす。旦那、準備はできてやすか?」
「準備?」
「商談が始まれば、いつ荒事になるかわかりやせん。そんな相手でさぁ」
そう言われた俺は背中に差している剣を見やった。
「そんなもの、1年前からできてる」
晶石売りと2人、人道外れた山の中をしばらく歩くと、洞窟の入口が見えてきた。入口前には、見るからにみすぼらしい男が2人ほど立っている。こいつらも野盗なのだろう。
「ここでさぁ。さ、マスクと、それと剣を隠す為のローブを着けてくだせぇ」
「分かった」
晶石売りに従い、ローブとガスマスクを着ける。ローブはともかく、ガスマスクは案外呼吸しやすく、思っていたほどの不便はなかった。材質も軽く、動きを妨げない。
それらを着けたことを確認した晶石売りは、いよいよ洞窟へと歩き出した。当然ながら、野盗に道を阻まれた。
「なんだてめぇらは? ここがマーブル一味のアジトと知ってんのか?」
「えぇ。マーブルさんと商談のアポを入れてたんですがね。ちとお呼び頂けませんか?」
そう言われた野盗の片方が、洞窟の中へと戻って行った。残った方は、俺たちに警戒する視線を送ってくる。
野盗の視線を浴びながら待っていると、中から先程の男と、それとは別に数人の野盗、そしてその後ろから腰に剣をぶら下げた、ボスらしき男が出てきた。
「お前らか、商談なんて持ちかけてきたヤツらは」
何度も写真で見てきた顔だ。
マーブル……!!
思わず斬りかかりそうになる俺を、晶石売りが抑えてきた。
(まだ早いですよ旦那。まずは弟さんの晶石を引き出さなきゃ)
(ぐっ)
晶石の為とはいえ、なんとももどかしかった。仇が目の前にいるのに、斬りにいけないとは。
「なんだ? 何を話してやがる」
「いえいえ、お気になさらず。こやつ、初めてこういう場に居合わせるもので、緊張してるらしく。どうかご容赦くだせぇ」
「ふーん……」
何を考えてるか分からないが、俺の方をじっと見てくる。作戦がバレただろうか?
が、しばし見つめてきた後、警戒を解いたのか、マーブルは俺への視線を外して晶石売りを再び見た。
「まぁいい。とりあえず、楽しい商談といこうじゃねぇか」
「えぇ。さぁ、そちらのコレクションを見せてくだせぇまし」
こうして、晶石売りとマーブルの商談は始まった。
「これとかどうよ? 家族想いの若造の晶石でな。『自分はどうなってもいいから、家族には手を出さないでくれ』って言って土下座する姿には涙を誘われたっけな」
「……35万」
「じゃあこれは? 奉仕活動が趣味って女の晶石だ。上玉だったし、生きたまま売っぱらっちまうか悩んだもんだな」
「……20万」
マーブルの下卑た説明を聞いているのかいないのか、淡々と向こうの晶石を査定していく晶石売り。しかしその査定に不満を持っているのか、段々とマーブルの顔が紅潮していくのが見える。
「ほんとにそんな値段かよ? これなんか少なく見積っても100万は下らねぇと思うが」
「いえいえ。素直な鑑定結果でさぁ。それで、もうおしまいですかい?」
「いやまだだ。とっておきのがある。ちょっと待ってろ」
そう言うと、マーブルは洞窟の奥へと引っ込んでいく。
(いよいよ、弟さんの晶石とご対面するかもしれやせんね)
(だといいがな)
ヒソヒソと耳打ちしあっていると、マーブルが光る物を手にしながら戻ってきた。
「おら見ろよ! 俺のとっておきだ!」
マーブルは叩きつけるように晶石を置いた。確かに、今までのものとは輝きが違うように見える。晶石売りもそれを手に取ると、今までよりも慎重に査定し始めた。
「へへへ。これならさすがに、高い値段を付けざるを得ないだろ?」
そんな言葉も気にせず査定を続ける晶石売りは、ようやく手にしていた晶石を置いた。
「85万」
ため息混じりに、査定金額を出した。
先程までのと比べると、だいぶ価値は上がったが、それでも100万を超えなかった。結果を聞いた途端、マーブルは腰に提げていた剣を、晶石売りに突きつけてきた。
「てめぇ……やっぱ安く見積ってやがるな……この石がそんな値段なわけねぇだろ!」
激昂しているマーブルにもたじろぐ様子を一切見せない晶石売り。それどころか、それを見て先程よりも大きなため息をついた。
「晶石の価値は、1番上の特級から始まり、一等級、準一等級、二等級、準二等級……と続いて、一番下の八等級まで計16ランクに分かれていやす。先程までのは精々六等級、今のものでも準五等級ってところでやしょう」
「なんだと……?」
「そもそも、未解明な部分もありやすが、晶石の美しさを決めるのは、内面や若さなんかもですが、生まれ持った魔力量が大きいとされてやす。そこらの一般人を殺したところで魔力量はたかがしれてやすし、このぐらいの価値になって当然でやしょう」
「この野郎……」
さらに怒りを重ねるマーブルなんて意に介さず、晶石売りは続ける。
「大方、今までの晶石売りには脅しをかけて本来の価値よりも高い金で売っぱらってたんでやしょうが、あっしにはそうはいきやせん。晶石……もとい、人の価値は平等じゃありやせん。だからこそ、価値をつける時は平等に、正しい価値をつけてやる。それが、あっしが心に決めていることでさぁ」
「へっ、面白ぇじゃねぇか」
マーブルは突きつけていた剣を1度おろすと、そこから大上段に振りかぶった。
「ならその心に殉じて、死ねやぁ!」
言い終わると同時に、その剣を勢いよく振り下ろしにかかるマーブル。俺は咄嗟に被っていたローブを脱ぎ、奴の顔面に放った。
「ぐっ」
「おらぁ!」
ローブの目眩しにたじろいだ所に、すかさず飛び蹴りをかましてみせた。思い切り吹き飛ばされ、尻もちを着くマーブル。
「商談中に暴力沙汰とは、感心しませんねぇお客様」
「やるじゃねぇの……何者だ? お前?」
「1年前、片田舎でお前に殺されたガキの……兄貴だよ」
「1年前? 片田舎……あぁ、あいつか。あいつの晶石でしばらく食わせてもらえたっけなぁ。感謝してるぜぇ、あいつには」
「……ということは、今お前の手元にはクオンの晶石は無いということか。どこへ売った?」
「さぁ? 忘れちまったなぁ。そんなこと」
「そうか……なら」
俺は背中から剣を抜き、戦闘態勢をとった。
「お前を生かしておく理由はない。死ね」
「くくく……商人の用心棒程度が、俺を倒せるとでも?」
マーブルも大上段に剣を構え、振りかぶる体勢をとった。
「うおおおおおおお!!!」
雄叫びと共にその剣を勢いよく振り下ろした。俺はサイドステップでかわし、その勢いのままマーブルを袈裟斬りにする。
「かはっ……」
勝負は一瞬だった。
斬られたマーブルは倒れたと同時に、光に包まれて小さくなっていった。そして拳大程度まで小さくなったところで光が霧散し、中から黒ずんだ宝石が出てきた。これらが人が晶石となる一連の流れだ。
「お、親分が、あんな一瞬で……」
呆気に取られる子分共を他所に、俺は晶石売りへと話しかけた。
「さて、この晶石、いくらになる?」
「八等級……ただでもいらないでしょうね」
「そうか。なら壊していいか」
そう言うと俺は剣を振りかぶって、それを奴の亡骸に叩きつけた。小さく、音を立てて割れる晶石。
「ひぃ……」
「さて、次はどいつが査定されたい?」
「ひぇぇぇ! た、助けてくれぇ!」
子分共は蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、後には晶石売りと俺だけが残された。
「さて、仇討ちできやしたが、これからどうするんです?」
先程殺されかけたとは思えないような呑気な声で、晶石売りは話しかけてきた。本当に読めない男である。
「そうだな……とりあえずは弟の晶石を探すよ。宛はないけどな」
「それでしたら、ここから北に行った『コドン』という街に行くと良いでしょう。マーブルが贔屓になっていた商人がいるようでさぁ」
「そうか、何から何まで助かる。それで、お前はどうするんだ?」
「あっしはまた晶石を持って行商と行くだけですよ。旦那とは一旦、お別れですね」
晶石売りの言葉に、なにか引っかかりを感じた。
「一旦? また会うってことか?」
「えぇ。晶石を追ってる限り、いずれあっしらはまた、どこかで交わるやしょう」
「そんなものなのか……?」
よく分からない言葉だったが、そう言われるとどうにもそんな気がしてしまう。言動などは抜けている感じがするが、どこか只者ではない何かを感じるのだ、この男からは。
「さて、ではあっしは行きやす。ご武運を」
「あぁ。元気でな」
そう言葉を交わして、晶石売りは去っていった。
俺もそれを見送って、晶石売りの言っていた『コドン』へと向かうのだった。
この先で晶石を巡る数々の因縁が待ち受けていることなど、この時の俺には想像もしていなかったのだった。